某地方紙のブンヤさんが、
山雅は〈善戦〉した云々、の見出しで投稿した。
誰かが、そう表現するだろう、とは思ってましたが、
語彙の貧相とステレオタイプの思考が結びつくと、こういう言葉を選ばせる。
たしかに、そこそこチャンスもあったし、緊張感のあるゲームであった。
(これには、大宮が猛烈に前から圧迫してくることがなかった事情がある。
思うに、システムにおける役割分担をハッキリさせるため、互いの距離を保つことを優先していたから。
肝心なシーンでは、#30(ボランチ)が出現し、ボールを確実に回収してました)
では。
シュートは十数本放った(枠内は2~3本)が、それらが、どれほどキチンと撃てていたのか?、あるいは、撃たせてもらえてたのか?
残念ながら、まともに悔しがれるやつは、記憶にはない。
ここだけみたって、〈よくやった〉はあり得ない。
攻撃的サッカーを目指すチームなんだから、なおさらのこと。
まぁ、意識の底に、両者には技量差が歴然とある、と山雅を見くびっているからの〈善戦〉発言なんでしょうが、
当夜の南ゴール裏の反応も、ほぼそれに似ていたけれど、
すくなくとも、
昇格病に罹っているファン&サポーターが、このゲームを〈善し〉としたら、矛盾もはなはだしい。
こういうゲームこそ、ブーたれよ、南ゴール裏は。
もしこれを善戦とみなすならば、昇格、昇格と騒いではいけない。
現実主義者を装って、
富山戦を〈惨敗〉、岐阜戦を〈辛勝〉(そして今節が善戦)と定義したところで、
山雅のやっていることをよく観ていれば、
それほど評価が乱上下する内容ではない。
だから、結局は、勝ち負けだけを論じているだけのことだろうね。
で。
昨日、監督のゲーム後インタビュウをよく読んでみたら、
実にマットウな自己評価が、そこには在って、
― 自分たちができることは全部やったけれど、(勝利に)届かなかった。
なんだ、〈完敗〉を正直に吐露しているではありませんか。
では。