腑に落ちる敗戦 (2024.9.7大宮戦レビュウ❶)

後半に先制され、そのままタイムアウト。

0 – 1 の敗戦。

― 前半良かったので、残念です、とは、お隣で観戦してたご婦人。

― 勝ちを確かにモノにできるチームと、勝ち切れないチームの好対照ですかね。後半早々のリズムを活かせれば……。

……が、チノ氏(北ゴール裏の同志)の感想。

こっちが劣勢とはいえ、攻めたり守ったりで、どっちにも勝機があるゲームにおいて、

クロス投入の、数少ないチャンスを決め切る仕事ができること。
(ボールホルダーが、ヒールでその内側に入ってきたプレイヤーに繋いで、それをクロスとは、お見事で、してやられました)

実は。

これができる集団と、そうでない集団の差は、

かなり、否、とてつもなく大きい。

手が届きそうでいて、けれど、終わってみれば……だ。

そういう意味(その❶)で、納得できる敗戦ではなかったか。

山雅の場合は、負けずにやる姿勢、ではなく、勝ちに行く一択でやってるから、

複数失点のシーンに目がいってしまうぶん、

最少失点だと、変に過大評価してしまうのも、これまた厄介なんですけどね。

納得できること、その❷は、

それなりに研究と錬成の跡が感ぜられ、誰ひとり手も抜いておらず(アタリマエ)、

技量と連係が、いまだ十分とはいえないが、

闘うにおいて、いろいろ工夫、つくり込んでやっているな、と言えること。

サッカースタイルの選択は、チームが決めることなので、

筆者は、それを支持し、その深化を望みますけれど

現有の技量で、今のサッカーを貫けば、

攻撃と被攻撃がシーソーのように立ち現れ(つまり、攻撃もするが攻撃に曝される機会も同様に多い)、

すると、最終結果(勝敗)も交互に現れやすく、

勝ち負けがトントンでいくだろう、という想定内の足どり。(納得その❸)

残り 11試合で、〈勝ち〉の側に、どれだけ多く積めるのかのせめぎあいは、最終節まで続きそう。

いつも指摘するとおり、

〈上手く〉〈巧く〉を最大値で織り交ぜるしかないですよ、あらゆる手を弄してでも。

では。