山雅劇場こそ,死語に (相模原戦レビュウ ❶)

日曜日、ソネさんに会ったら、

― 相模原の 2点目、あれは、要らないですよ。

そうだろうな、とは思う。

その失点は、プレビュウで指摘したそのものの、様態。

クロスをフリーで打たせてしまい、かつ、サイドバックの上から上背を利して叩き込まれると、競い負けしてしまう弱点。

かつ。

相模原は右から入って来ても、最後は、左サイドで仕上げる、という攻撃を再三貫いていたわけだから。
(高木がヘデイングでかぶせてくるのは、60分から繰り出していたパターン)

つまり。

3 – 1 、もしくは 4 – 1くらいで、坦々とあのゲームを締められることこそが、

いま、山雅が目指している姿だろう。

だから、あれは、やっちゃあいけない山雅劇場、なんです。

余計な手数をかけて、やっとこさ勝てたのを、

昇格、昇格と力んでいる方々ならば、まさか、手放しで容認するはずもあるまい、と僕は信じて疑わない。

ひとつの高揚、高潮(のようなもの)の時季から、すでに 5年が経っているのに、

過去からしか現在を見られない感性が、山雅劇場などと、口にするのです。

あとは、

いまのチームの良点、たとえば、カウンター攻撃の迫力(枚数の投入)をみて、

これを、〈山雅らしさ〉と評してしまう。

いまや、亡霊みたいな過去への執着が、一体、いつになったら止むのだろう?

❶不在が示した存在感。
プレビュウは迂闊にも、山本 康裕の出場停止を織り込んでおらず、ダブルボランチ(安永、米原)でやると、

どうしても、菊井 悠介の立ち位置が低くなりがち。(ただし、後半は高い位置を採るようになった)

さらに、山本が、右サイドへ張り出して適時やって魅せる、(相手攻撃の)寸断/阻止、サイドバックとの絡み、それが欠乏したがゆえに、

樋口のサイド(右)は、どうしても不活発になりました。

で、そこと対峙する、相模原の左サイドを利した格好に。

❷Something New とは?
良くも悪くも、中村 仁郎の使われ方に、今後、注目ということでしょうか。

たとえば、3点目のシーン。

菊井が、左を走る村越にラストパスをとおしたのは、やはり、右方を駆けていた中村との連携における日の浅さが底流にあったはず。

となれば、登録早々、ゲームに投入する律義を感じながら、

中村の、独特なリズムとテクニックは、ボールを中央へ運んでから、ペナルティエリアへと突入するチャンスを大きく拡げそうな予感。

相模原戦、ぺナ突入の仕掛けは、チームとして、いろいろと試していましたから、そこに期待したい。

ボールを握るサッカーの、シュートから逆算した、最後の詰めの部分です。

とにかく。

これで、山口 一真、佐相らとの定位置競争は、より厳しくなりますね。

では。