サッカーナショナルチームは、スペイン代表に敗退した (0 – 3)ようだ。
フルも、ハイライトも観ていないが、スコアだけをあげつらえば、ワンサイドのゲーム。
読売新聞オンラインの記事タイトルが、
見た記憶がない「相手を背負うプレイでオフサイド」云々とあり、興味を惹かれてざっと読んだが、実に〈聡明な〉書きぶりに、感心してしまう。
〈見たことがない〉の表現でもって、ジャッジへの不満、疑問を、読者の心象に刷り込もうとするけれども、
文中のどこにも、VARが介入した、ジャッジの不適切なこと、疑問などは一切文字化していない。
まぁ、匂わせるが言質を取らせない、印象操作の巧みさ、これぞ、プロの仕事です(署名入り)。
パスがでた瞬間、日本FWの右足の一部(かかと)が、後方に背負ったスペインディフェンダーの身体よりか、ゴールに近くにあった、ということ。
非常に酷な言い方をすれば、フォワードとしての迂闊。
その体勢が、〈待ち伏せ〉の意図が皆無であっても、ルール イズ ルールの前には抗弁できまい。
いづれにせよ、
現行ルールに照らせば、観ていて、すかさず介入したVARは当然の仕事、とされるべき、と思う。
……僕は、オフサイドを取られた側も、採った側も責めはしない。
要は、サッカーとは、もともと〈いい加減な〉ものが紛れざるを得ない競技、と皆が認めていることは間違いなくて、
そういうグレーゾーン(人間の視力の限界)と、VARという、絶対的な定規が共存することに、そもそも、紛糾のタネが仕込まれている。
あれだけ接触プレイが連続するなかで、ファール、非ファールを一瞬にして選別しなくてはならないとしたら、
不完全な〈人間の眼〉のみでジャッジしたほうが、一貫性はあります。
でも、一旦導入してしまったものは、後戻りもできず、このまま事あるごとに、論争を繰り返すしかないでしょうね。
テニスにしたって、
プレイヤーのチャレンジによって、ジャッジによるインアウトがくつがえることはあっても、
それが誤審とは責められないし、チャレンジしなければ、そのまま過ぎ去るではありませぬか。
いい加減とは、もともと、良い!!加減なのだから。
では。