TV画面よ,TVよ (パリの憂鬱)

始まってみて、思い知ったけれど、

毎朝、TV画面がもはや、出勤前の時計がわり、とならない。

パリでやってるオリンピック中継に番組が占拠されていて、現在時刻がつかめないのだ。

……この不都合が、しばらく続くのは、どうしようもないか。

サッカーは、フルタイムのゲームを観るほど興味が湧かないけれど、

ハイライトシーンは、自然と、眼に飛び込んでくる。

男女ともに、グッドゲームを闘っているようだから、喜ばしいことだ。

僕が、特に印象深いのは、

男子の場合だと、23歳を超えるプレイヤーを何人か使える制度(オーヴァーエイジ枠)があるはずだけれど、

今回のナショナルチームは、そんな、ケチな手段を採用していないらしいこと。

ゲームの勝敗そのものより、OA非招集に、

世代を追ってタレントが次々と出現している事実が証明されていて、嬉しくなります。

(といっても、もしも戦績が芳しくなければ、メディアは、非招集の責を追及するんだろうから、なんとも)

ついでに、女性の、対ブラジル戦のハイライトを覗くと、

ゲーム終盤に、絶妙なロングシュートが決まっての勝利(しかも逆転)。

サッカー人生にあって、そうは(2度と?)ないような美しいゴールだろうが、

決めた時間帯などから、これを観て、

最後まで諦めない好見本、みたいな言いようが予想される。

けれど、おそらく。

プレイヤーは、引き分け(ゲームプランとして)で終わろうとしていない限りは、笛が鳴るまでは、勝つために闘っているわけだから、

諦めずに観ていて良かった、という観戦者の感情を投影するあまり

あたかも、それを、やっている者の(必死な)心理として表現するのは、いかがなものか?

こういうのは、原因と結果の法則、の吟味されない当てはめ、に過ぎないから、事実の歪曲にも、つながりかねない。

まぁ、しかし。

すべてのプレイヤー達には、ゲームに没頭できる限り、時間を楽しんでもらいたい。

あいも変わらぬ、メディアの〈メダル病〉的な報道など、どこ吹く風で。

では。