ひとつ。
私は、なぜ、ここに在るのか?
ふたつ。
私は、なぜ、生きなければならないのか?
これを、まったく考えなくたって、僕らは毎日を、生きて過すことはできる。
が、ふと。
魔が射すと、こんな自問をすることもあるだろう。
問いふたつ、への答えの中身はともかく、
ひとつめは、宗教に、ふたつめは、哲学に、その役目を負わせるべきことが、
この年齢になって、やっとわかるようになった。
さて。
宗教と哲学に鍛えられて辿り着きたいのは、
今、ここに生きていて、
私は、どのように生きるのか?、を知るに尽きる。
もちろん、自問などしなくたってかまやしない、
自分を偽らず、実際に、そう生きていれば。
では。