季節の憶え☞アネモネ カナデンシスが開花(5/24)
主演のヴィンセント ギャロ(1962年生れ)は、
監督、原案、脚本、音楽もこなしているので、俺のプライベートフィルム、といった作品に仕上がっている。
僕は、息子から紹介してもらってこれを観たが、けっこう楽しめた。
逆説的には、この萬年が好ましく思える作物なので、
ふつうの感覚の持ち主で、
かつ、映画というジャンルに興味のないお方には、観ることを、けっしてお奨めしない。
ヴィンセント ギャロという、一風変わった〈こだわりの〉存在につき合わねばならず、
おそらく鑑賞が、苦痛の時間に思えるかも知れない。
反面、かように観る者を選ぶ作品なので、
他方では、偏愛的な支持を得ているに違いない。
映画そのものについては、そういったファンがたくさん語っていることだろうし、
かつ、僕の興味は、今、そこにはない。
で。
皆さんと、共有したかったことは、ひとつ。
物語では、米国プロアメリカンフットボールリーグ(NFL)に属する、バッファロー ビルズ(1959年創設)にまつわる話題が、主要なプロットになっている。
刑期を終えて、数年ぶりに両親の家(つまりは実家、ニューヨーク州バッファロー)に戻ってきたのが、主人公のビリー。
母親に、妻帯している、と嘘をついてしまったため、見ず知らずの女性を誘拐して、(その彼女にお願いして) 妻として紹介する魂胆で、やってくる。
が、この父母は、息子にはほとんど関心もなく、自分のこと(人生と趣味)しか考えていない。
家族には、無関心、というすき間風が吹いているのだ。
特に、母親のほうは、チームのスタジャンを家で着通しているほどの、熱狂的なビルズファン。
でもって、ビルズが(最後に) 優勝した 1966シーズンは、
息子(ビリー) の出産と重なって観戦ができなかった、と、30年後のいまも嘆く。
バッファローは、その後、1990~1993年に 4季連続で、NFLスーパーボールに出場するも、すべて敗退。
特に、1991年(第25回)のゲームでは、
逆転を狙ってスコット ノーウッドが蹴り込んだ 47フィートのフィールドゴールが、右に外れ、わずか 1点差で優勝を逃してしまう。
実は、ビリーは、この負けゲームによって損害をこうむった他人の罪をかぶって収監されていた。
スーパーボール敗退は、スコットが、八百長に手を染めたためと信じているビリーは、
現在は、引退したスコットを、射殺しようと計画していた……。
……、長々と恐縮ですが、
家族の親密の無さや、賭け試合による負債は、ともかく、
自分の街に、プロの球団が在ることの功罪。
それが、たとえば、キネマの脚本に、こんなふうに織り込まれる……。
もちろん、自分のこの街と山雅に、強引に結び付けたい、とも思いませんが、
もし、プロサッカー球団が身近になければ、切実には迫ってこない物語だったに違いない。
では。