公理は、反証をゆるさない。

〈公理〉とは、簡単にいうと、

純粋数学(幾何学など)にあって、大、大、大前提となる決まり事のこと。

例えば、次のようなもの。

異なる 2点を結ぶ直線は、ひとつ(1本) しか存在しない。

これが、数学という学問の理論的な出発点(のひとつ)、なわけです。

……こう書いてくると、

昔、学校で、数学が苦痛だった方々、あるいは、いま苦しんでいる方々は、

これ以上、この投稿を読む気が失せるかも知れませんが、これからが、面白いところなので、どうかおつき合いを。

で、この〈公理〉が宣言され、成立する根拠とは、何か?

それは、経験的、直感的に、(ほとんどすべての人間に) それが真実、つまり、そうに違いない、と感得されるから

ですから、〈公理〉は、その性質上、決して反証をゆるさず、拒絶する。

エマニュエル カント(1724~1804年、独の哲学者)は、

こういう純粋直感、つまり、〈決めつけ〉を土台とする数学は、学問として、もっとも成功している、とまで言っておりますな。

さて、ここまで来て、僕が、ふと、思うには、

我が愛するクラブの周囲にも、公理のようなものが、見え隠れすることがある。

過去の経験による直感にもとづいて、

いまだ、5代前の、偉大なる指揮官(とそのサッカー) を待望してやまない未練、がそれ。

決めつけ、反証を拒絶する、なんてところは、まさに公理、と言えましょう。

……18世紀の哲学者を引用すると、ファン&サポーターの生態も、説得力がありますね。

では。