翠滴る(みどりしたたる)の初夏に、
1 – 2 の敗戦……。
負けた鬱屈をまぎらそうとしていることもあって、つまらんダジャレのタイトルを、どうかお赦しあれ。
―あぁ、負けちゃったね、と、一緒に観戦した小学3年生に話しかけると、
― サッカーって、そういうもんでしょ。
おそらくは、山雅、いまの技量だと、勝ち負けが、ほぼ変わりばんこに表われながら、
リーグ最終で、勝ちが、負けを 2~3個上回る星勘定だろうな、と思っていることを、再認識させられた次第。(そのくらいな戦績を良しとすべき、リーグ内技量)
とは言え、
観ていて、危うい〈さまよい〉の気配が、ふたつ。(これは後述します)
萬年、勤務を終えると、前半途中からのご入場でしたから、
ゲーム様相がいまひとつわからない部分もあるけれど、決定機をそれなりに作っていたようですし、一度は、同点に追いたので、もったいない敗戦でした。
2失点目のシーン。
あれ、相手に流れがいっていて、ここで緊張感をギュッと高めるべき場面なのに、そこで、2枚替えをほどこしたのは、いかがなものか?
あの交代で、マークすべき対象の曖昧さと、一瞬のスキ(弛緩)が生まれたのでは?
集中度を落としてしまう、采配ミス、ともいえるタイミング。
他方、ヴァンラーレの勝因は、
68分に山雅を突き放すと、その後、逃げ切る姿勢をまったくみせず、かえって、攻撃圧を強めたことに在った、と思います。
ああいう仕事は素晴らしく、そこからは、謙遜に学ぶべき。
さまよい その❶
チノ氏の表現によれば、
攻撃(重視)、を標榜する、といいながら、
(ここへ来て) 攻撃そのものが、ぼやけてきている。
これは、萬年がプレビュウで指摘した〈懸念〉と、ほぼ重なります。
攻撃における定番、というか、ゴールの方程式がみえてこないもどかしさ。
たしかに、浅川の、ねばっこく状況を打開してしまうゴールは、貴重です。
が、スペースを開けておいて、最適な態勢とシュートコースで撃つ、そんなゴールは、このところない。
混戦の中、事故に近いゴールも、1点は 1点、と言えばそれまで、ですがね。
カウンターに特化しない、とすれば、
ピッチサイドを広く使いながら、サイドチェンジを挿し込むなどやって、相手ディフェンスを振りまわさないと、侵入するスペースは、なかなか開きません。
チノ氏によれば、現在、滝 裕太が好調だから、左サイドで、彼と他のプレイヤーの距離感(サポート)を改善して、そこから突破口を開けるべき、という指摘。
山口 一真との絡みのあたり、でしょうか。
あとは、高さ(身長)で優位を獲れない前線を組まざるを得ないのですから、
ロング、または、ハイボールの競り合いに、もっと工夫が必要でしょう。
そういった競合では、そのセカンドボールは、ほとんど(より高身長の)八戸側に渡り、そこから、一気に縦に侵入を許した。
相手の裏を獲れ、といっても、単純な抛り込みでは、屈強な前線でないと、ボールは収まらない。
もしも。
であるからこその、基底からのパスワークで前進する、というのなら、
中盤での、ボランチによるボールさばき、と攻撃的な姿勢を、もっと強打ち出さないと。
67分、山本 康裕が投入されると、そこから、あきらかにボールが回り始めた。
その攻撃意識の高さ、それと、よりボール保持で動き続ける(=距離を稼ぐ)ことで、スペースをみずから開け、かつ、こっちが獲れるスペースを見い出す、そんなプレイ。
米原 秀亮は、そういう部分を身につければ、もっと高身長を活かせるはず。
さまよい その❷
昨日、終了のスタジアム挨拶時。
南ゴール裏からは、けっこう盛大なBOOが、湧き起こった。
このような出迎え、
敗戦時の〈ならわし〉化が、ほぼ定着した感あり。
あれ、メッセージとしては、負けた不満と、鬱憤晴らしのぶちまけに過ぎないから、
萬年からすると、チームとファン&サポーターの結束にヒビを入れる〈効果〉しか生まないでしょう、おそらく。
プレイヤーは最後の最後まで闘っているにもかかわらず、
誰だって、常勝のチームを観たいのはわかるが、
いまの山雅を、一体どれほどのチーム、と考えているのか?
(ここ3部リーグにおける) 大観客による絶対ホームの優位性。
単に、10,000人前後の観衆が在るだけでは、その〈神話〉は決して成立しないことに気づき始めないとまづい。
アルウィンの熔解、ふと、そんな言葉が浮かびました。
では。