思想で敗けた,あの戦争。

明日2月11日を、建国記念の日、と名づけるのも無理があるだろうに。

と、年に一度は、思う。

かつての紀元節を踏襲した日取りに過ぎないし、

そもそも〈建国〉の時季さえはっきりしない(神話) のが、この国の長い歴史の故なんだから、あえて国家独立の日は、きめなくていい。

やりたけりゃ、元旦と一緒に祝ったら?

さて。

神武即位で始まった〈紀元〉の、数えて 2,600年目が、1940 (昭和15年)に当り、

この年に、帝国日本海軍に採用された戦闘機だったので、下二桁 00 を採って、

零(00)式艦上戦闘機と命名されたのが、ゼロ戦の名で有名な、あの戦闘機。

実戦投入から2年間くらいは、他に圧倒的に優位な性能を誇った。

その速度、航続距離、上昇能力の運動特性、重火器武装などによって。

いまだに、レイセンを、傑作機と持ち上げる論調があるし、性能だけを言えば間違いではなかろう。

が、その性能を生みだすためには、徹底した軽量化を施していて、

そのために、機を駆るパイロットの、居住快適、安全は、無視された。

この国の、労働者全体に対する安全思想全般が、当時、その程度だったから、

発注した側の海軍や、受注した三菱重工業社を、

パイロットの労働安全衛生確保の思想が皆無だった、といって特別に責めることはできない。

たとえば。

台南基地を本拠とした零戦部隊は、

味方の爆撃機を護衛するため、エアコンなき氷点下の操縦席で、高度数千キロを数時間かけて飛行。
爆撃地に着くと、数十分の迎撃作戦に従事。
それからまた、数時間かけて帰投、その連続だった。
操縦席では、握り飯数個とお新香くらいを食す。

当時、これが、日本人の当たり前だったのかも知れない。

ただ、そうやって作戦の日々を通じて、多くのパイロットが損耗していった。

他方、米国は、作戦中に鹵獲した零戦を徹底的に分析して、これを〈脆弱な〉戦闘機と結論。

以後、対零戦用の戦術を開発、あるいは、ゼロファイターを上まわる性能を有する戦闘機を投入する。

太平洋戦争は、物量差を生んだ経済力(総力戦)で負けた、とよく聞く。

それも一理。

ただ、それは開戦当初からわかっていたことではないか。

だからこそ、あの戦争を、奇襲作戦ではじめたんであって、ならば、

いつ戦いを終わらせて外交が出るのか?、の時季を冷静に読んで、終結するべきだった。

が、そういた青写真もないままに無為に時間を過ごした、国家指導層の怠慢がひとつ。
(戦争終結の動きは、あったにせよ)

もうひとつには、

上に書いたような、パイロットの安全(=生命)軽視にみられる、

玉砕しても戦い抜け、といった労働者(人間)の使い捨て思想が、

どうにもならなくなったら投降せよ、と教える、労働者(人間)の温存と、その再生と活用までを計算に入れる、合理な思想に負けたのだ。

(民主主義 対 独裁体制、といった薄っぺらい構図ではないことに、注意せよ)

 

いつまでも、一面だけをみて日本海軍の傑作機、と誇ってていいのかいな?

そして。

人間の使い捨て思想は、いまも、僕らの周辺に形を変えて生き延びているので、

90年前の日本人を笑ってもいられないことは、確か。

では。