数十年を経て,よみがえる。

浦島 太郎のお話を、ふと思い出すと、なんとも切なくなる。

自分だけ生き残って、取り戻せない過去を前にした、悲哀と寂寥。

それを、物語りで言い伝えた民のリアリズムは、まんざら捨てたもんじゃあない。

日頃、なんとなくちずさむメロディーが、僕にはあって、

はて、どこで仕入れたんだろうか?、と思っていたら、

映画『タクシー ドライヴァー』(1976年米)の、サウンドトラック中の曲だったことが、最近、判明。

二番館で観たように記憶しているけれど、ロバート デ ニーロにはじめて出逢った作品に違いない。

違いない、とは、おそらくはほぼ間違いない、という意味。

ヴェトナムからの帰還兵(=ヴェテラン)の、日常の孤独と再燃焼を、巧く演じた。

ヴェテランを描いて、この作品と双璧をなすのが、

『ヴァニシング ポイント』(1971年米)。

こっちも好きな映画で、DVDを持っている。

アメリカ人でしか描けない、アメリカ人が描くべき、そんな映画群。

日本人は、先の大戦を、クリント イーストウッドに描いてもらうのではなく、自分で、もっと真剣に作品にすべきだと思う。

なぜならば、未来のために。

……、と愚にもつかぬことを言っては、サウンドトラックを聴いてます。

では。