権威を借りて来る。

吉田 健一 (1912~1977 文芸評論、小説家) が、いまから半世紀前に、こんなことを書いている。

……この頃、新聞その他で目に留まる最も不愉快な言葉のひとつに、何々と言われているというのがあって、もっと簡単に、そうであると書けばよさそうなものなのに、それをそう言われていることにするのは、責任回避の目的を果たすばかりでなくて、そういう表現をした方が信じられやすいところにからくりがあるのが感じられる……

(原文の歴史的かなづかいを、萬年が改めた、下線も付記した)

こういう事情は、いまも、あまり変わっていなくて、

要は、自分の発言に対する他からの反論をあらかじめ想定するので、それに向かって、なんらかの権威づけをしておきたい。

そういう時の、常套句なんだと思う。

極論にはなるけれど、

他人の好悪にびくびくしない個人主義を、いまだに曖昧にしておきたい身につけられない僕ら、

そんな事情背景が、こういう言葉を使わせるんだろうか?

せいぜい気をつけたいものだ、自分の生み出す文章や態度には。

では。