10月半ばの、対長野戦で、
スタジアムに、ふたたび戻りつつあった、或る気配を感じて以来、
ここしばらく、考えていたことがありまして。
それとは、
アルウィンが僕らを惹きつける、その魅力とは、一体どこから来るか?
といったようなこと。
もちろん。
そこに足を向ければ、
我らが山雅が、ピッチに登場して闘うからなんですが、
それでは、味も素っ気もないお話。
で、ようやく、〈当意即妙〉という言葉に辿り着いた。
当意即妙 ☞ すばやくその場に適応した機転を効かすこと、また、そのさま。
いまの時勢だと、レスポンス(英語)、とか使いますね。
おさらいすると、
ゲートをくぐってピッチを望んだ瞬間から、ひらけた僕らの眼前に満ちるもの。
それは、
スタジアムに、歓迎、鼓舞、称賛、ときには不満(BOO)、それらの感情や情緒が、シーンのつどつど、間髪を入れずに、歓声、歌唱しやすいチャントや、手拍子、拍手に乗せて表現される。
約束事として、組織的な応援という形で、観戦に組み込まれてしまうルーチン。
観戦者は、自由に、強制もされることなく、その中で、ゲームに浸っていられるだろう。
ボールパーソン紹介から始まって、それぞれが自分なりに参画する、そんな雰囲気。
……、どのリーグに参戦しようと、いかなる対戦相手であろうと、アルウィンがこういった魅力を保ち続けている限り、保たせられている限り、
山雅は、間違った道を歩むことはあるまいな、と思っていたら、
北Q戦の際、
チノ氏から、新聞の、コラム記事の切り抜きをいただいた。
丁寧にたたんだ紙片を拡げると、それは、10月30日信毎13面、
絆、のタイトルで、田中 隼磨氏 (松本山雅エグゼクティブアドバイザー) の寄稿。
冒頭。
10月の対長野戦の観客が、先年より 3,000人以上少なかったことへの危機感が吐露され、
クラブやチームがより、地域の人々と思いや姿勢を共有して共闘することの価値が訴えられていた。
上に書いたようなアルウィンの魅力を良しとする僕でもあるから、
田中氏の主張には、おおいに賛同する。
……そして、ラスト4戦の共闘ぶり(単にゲームの勝ち負け以上のもの) で、チームとファンサポーターは試されるわけです。
では。