小学一年生が、片仮名を憶えだした。
テスト用紙をみせてもらうと、
答えに書いた セ―タア、のアの字を、教師がばってんで消して、〈ー〉と朱く訂正してある。(長音表記の練習)
長じて世にあれば、セエタアと表記しようが、一向に構やしないのだけれど、
― 先生が、こうやって直してあるのだから、〈ー〉と憶えておこうか、
と教えたが、こういった正確さは、今の彼にはむしろ有害であって、
あくまで、学校内教育の、画一性に同調しなければならない。
ゆえに。
― こういうふうにのばす、アア、イイ、ウウ、エエ、オオは、みんな
〈ー〉と、一本棒で、書くんだよ、としておいた。
拗音(ヤ、ユ、ヨ、ワ)を小さく書くのも、同じように教えた。
なんと狭量で、不自由な世界。
年齢や住むところで、ひとくくりに集めて教えを授けるやり方は、すべてにおいて、
幼い魂に、画一な行動と従順を、容赦なく押しつける。
そして、その手際の良さに、安堵する。
押しつける側が、かならずしもフェアでありえない生身の人間なんだから、なおさらに辛い。
では。