対象とする作品を、
ほめようが、けなそうが、
およそ詩を評する、ってのは、詩を信じているからに違いない。
詩の可能性を信じている、と言い直してもいい。
……、こんな当たり前のことが、このところ腑に落ちて、
それに気づかないできた、自分の迂闊さを感じている。
ただし。
作品を論じているようにみせかけて、なんのことない自分をのみ語るやり方に、食傷することも多い。
先日、宮沢 賢治を読み返していたら、次の2行からなる作物が、目を惹いた。
報 告
さつき火事だとさわぎましたのは虹でございました
もう一時間もつづいてりんと張って居ります
生前に発表された詩集『心象スケッチ 春と修羅』(1924年4月発表) に収まっているから、賢治お墨付きの、〈詩作品〉だ。
僕が或る詩人について考えていたから、
ふと、賢治が啓発をくれた、そんなふうにひとり決めしている。
では。