山雅で,やりたい放題 (FC岐阜戦レビュウ 対策篇)

アルウィン交歓。

北ゴール裏の同志 チノ氏。

彼のご家族全員(奧様と息子さんふたり)には、初めてお逢いできたし、

奥様同伴のモモ氏には、ゲーム後、(参戦したのに) 勝たせられなくて申し訳ない、と、ありがたいお言葉をいただいた。

チーム山雅には、アルウィンには、(声に出さずとも)ひとりひとりの思いが詰まっていることを感じてもらいたい、と願う。

さて……。

ゲーム後の場内アナウンスだと、今節、敢闘賞は、安永 玲央のようだった。

たしかに。

執拗、かつ、堅かった中盤でのボール持ち出しでは、随所に奮闘を魅せていたから。

ただし。
米原 秀亮が多く基底に降りてでも、安永にはもっと、前を志向して攻撃に参加させることを、チーム意思としなければもったいない。

同様に、

菊井 悠介が創れる決定的な(攻撃)起点、村越 凱光のつっかけ、野澤 零温と滝 裕太の、スペースを縫えるドリブルなど、

素早く前へ、という霜田イズムの中で、それなりに輝いているんだけれど、

注文をつけるなら、

各自がその強みで、いい意味、もっと山雅で、やりたい放題するためには、

同時に、有利なポジションの他者を活かす、使う、それを約束事として表現することが、絶対に必要。

これは、ひとつの逆説。

〈自己のタレントを魅せるためには、他者を活かせ〉が、連携の本質であって、

岐阜戦に価値を求めるとするなら、
そこらへんを克服しないと、確実な得点を獲れないことが切実になった。

連携を高めよ、というのは、

今後、再起を賭ける山口 一真、鈴木 国友、渡邉 千真らが、決定的仕事をするには、その一歩手前の工夫がどうしても要るからで、

あとはなんとか頼む、行く先はボールに聞いてくればかりでは、まだまだ無責任な仕事でありましょう。

たとえば、フリーな状況(体勢)であれば、一辺倒にボールを蹴り出すことなく、軽いプレイを慎み、もっとしぶとくボールを大切にしよう。

そんなこと。

では。