杜甫(712~770年 唐の詩人) は、
唐王朝が、安史の乱(755~763年) によって混乱し、衰退の入り口に立たされた頃、
国の体制がズタズタになっても、山や河はあいかわらず、もとのまま。
街には春が訪れて、草木が茂っている……
、と詠んだ。(『春望』757年成立)
有名な、国破れて山河在り、とのくだりで始まる、五言律詩です。
けれど今、東欧の、黒海の北方辺りでおこなわれている戦争をみていると、
ふたつの国が、戦いによって、ともに疲弊した場合、
じゃあ、自然はもとのままで、そこに在り続けるんだろうか?
自然環境と生物を根こそぎにできるような兵器が、当事者に所有されてしまったのだから、
杜甫みたいに、悠長に、ことを嘆いていられないほど、
ひとつ間違えれば、ひどく危うい世界が待っている。
戦争を始めた側のおもわく、
つまり、数日内での首都キエフ陥落、および、傀儡政権の樹立はとうに失敗したのだから、
すくなくとも、侵略者に、もはや〈勝ち〉はあり得ない。
こうなると、真の勝者とは、
これこれこうなったら戦いを止めるのだ、というビジョンをハッキリと持っている方に違いない、と思われる。
では。