正直に実力を発揮したから (2023.7.16 福島戦レビュウ❶)

ゲーム終了後。

北ゴール裏に挨拶を済ませたチーム山雅が、バックスタンドへと向かう姿を眺めていると、

同士チノ氏が、隣にやって来て座り、

しんみりと。

―  これが、実力ですかね~。
実際、負けた相手がおおかた、順位的に上にいますもんね。

僕は、彼の言葉に、まったく我が意を得たり!!、の夜だった。
(勝ち負けの数が同じになれば、リーグ中位は当たり前だし)

幸先良く先制しても、やがては持ち堪えられずに、終盤に逆転をゆるす。

前節琉球戦レビュウで触れたとおり、それは、

精一杯、力の出し惜しみもなくやっている結果としての、1 – 2 の敗戦だった。

今節も、まったく同じスコアで、

得点後の停滞、攻め込んでもロストが多発してシュートまで持って行けない、
攻撃の手詰まりが顕著。

ここまで正確に、毎回同一的なゲーム展開を踏襲しての敗戦、ってのは、

したくても、なかなかできないことではあるまいか。

もちろん、意識的にみずから屈辱をかぶっているわけでもなかろうから、

ある意味、やってることは、あまりに正直、実直、とも言える。

……で、プレイヤーたちが南ゴール裏まで達すると、

今回は、盛大なるBOO。

けれど、それと同じくらいの音量で激励チャントが混在する、実に印象的な光景だった。

これとは、(南ゴール裏に限れば) チーム山雅に対し、

一方に、〈回復〉、〈挽回〉を求めるロマンチストがあり、

他方に、〈確かな新生〉を支持するリアリストがいる、という状況を物語っている。

あるいは、前者を、復古主義者、後者を前進主義者と、固い表現もできる。

今の山雅に対し、何を求めるか、について、かなり錯綜している、ということであり、
チーム山雅そのものよりも、それを取り巻く周辺の人々の混乱のあやうさを、僕は指摘しておきます。

もちろん、筆者は、後者の立場をとる者だけれど、

ただし、いかに精一杯やってる、といったところで、それはないよ、という点については、レビュウ❷で。

では。