騒ぐ気持ちがわからない、というお話。
(気が向かないけれど、書いておきます)
相手に手を挙げた行為によって、レッドカードが出ると、
やたらと寄ってたかるのが、世間、というものの煩わしさ。
ゲーム開始2分もたたないうちに、ボールを持ち出そうとした菊井 悠介を、
愛媛ボランチの森脇が、当夜の挨拶代わりなんだろうか、
けっこう激しく削ったのが、そもそもの伏線にあって、その鬱憤が、ああいう格好で噴出した。
でも、わざわざフェアプレイや、人倫を持ち出すまでもないことで、まぁ、手を挙げた日には、結局は、当方が損をするのがサッカーの定石のオチ。
だから、やめとけや、
自分で、自分自身を傷つけてしまうことにもなるしね、村越よ。
……、その程度のことで、済ましては?、と僕は思う。
あくまで、損得上のことでケリ、でいい。
フェアプレイで縛らないといけないほどに、サッカーは、ズルさと手を切れない。
挑発と報復は、見苦しくもあり、もちろん、推奨はしませんが、
こういう事が起こると、
いかにも良識派ぶって正論っぽいことを吐く輩が湧いてくるけれど、
きっと、この野郎、といった感情を抑制できる、立派な社会人なんだろう、そのお方は。
乱闘を、子どもに見せてどうするんだ、とか。
僕の経験からすれば、ああいう舞台での立ち回りよりも、
もっと日常的な、たとえば、目の前の夫婦喧嘩や親の吐くウソによって、ずっと、子どもは落胆と侮蔑を学んでいるから、そう心配めさるな。
ファールをもらおうとして身体を使うこと。
実際の苦痛以上の見映えを演出すること。
そういう部分が、かなり疑わしいサッカーならば、むしろ、それを楽しんでしまいましょう。
ただし。
僕からみていて、食傷な演出はですね、
失点の途端に、ディフェンダーがそろってひっくり返って寝転がる、あれ。
サッカー定番?の落胆のポーズ、はどうしても、好きになれない。
では。