あぁ、あこがれの地、岩手よ。
なんですね、僕にとっては。
できれば現地参戦、とは思いましたが、
そっちのほうは、アウェイツアー参加の京子さんにお任せするとして、
今回の対戦を前に、こころを彼の地へと向けたら、たまらずに、
盛岡出身の作家、石川 啄木 (1886~1912年) の歌集『一握の砂』(1910年 刊行) を、駆け足で再読してしまいました。
短歌形式の中で、際どい抒情をおこなおうとなったら、百年前は、こういうのがモダンだったんでしょうか。
よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の右手(めて)のあたたかさかな
ここに、どの程度の虚構(ウソ)が紛れ込んでいるかはともかく、ぎりぎりで上品さを保つ表現が、憎い。
こういう美点は、同年生まれだった、萩原 朔太郎(1886~1942年) の詩には、残念ながらありません。
で、かの宮沢 賢治(1896~1933年)も、やはり、岩手(花巻市)のご出身。
なんとも贅沢な、郷土の文学者たち、ではありませんか。
僕が、青森市の親族を訪ねるのはだいたいが、夏の8月。
帰途は、東北道をひたすら南下するんですが、季節がらか、右手に仰ぐ岩手山は、いつも、頂上が雲の中。
通過する度に、ここらのインターで降りて、イートハーブの風土を味わってみたいものだと思いつつ、いまだ果たせず。
でも、考えてみれば、
今回参戦したところで、自宅 to スタジアムの往復のみで終わり、
盛岡冷麺さえ、楽しめなかったんでしょうがね。
では。