初夏の夜の夢 (決して正夢になるな)。

火曜日。

職場に来たドライヴァー(山雅サポーター,女性)が、(敗戦の憂鬱で) 夜眠れない、と洩らすから、

― 昼間、うとうとして事故しないようにね!、とお返しした次第。

勝手に応援していることであっても、敗戦の事実が、松本市中の交通安全にも多大の影を落とすことを、山雅には、わかってもらいたくもなる。

さて、不眠も辛いが、悪夢に落ちるのも、また辛い、というお話。

……元監督の反町 康治氏は、山雅ファン&サポーターにとって、Jリーグの水先案内人のような役割を果たした。

(徐々に整備してはいったが) どうしても不足しがちな戦力であっても、その強みすべてを活かすようなサッカーをやって魅せた。

持てるカードの限定という現実から、おそらくは、本来やりたいスタイルには背を向けた方法論を採用したのではないか、と察している。

山雅における、プロリーグ参入の揺籃期に、その手法がかなり巧く機能したことは事実であり、氏が、クラブ史上、多大の貢献をしてくれたことは間違いない。

だが、その離松以降、チーム創りには舵が切られ、数年もがきながらも、山雅は、次なる時代をたどろうとしている。

が、苦境になると、いまだに氏の時代が持ち出され、回帰論が説かれるのは何故なんだろう?

思うに、アルビレックスファン&サポーターにもかつて、同様の葛藤があったのではないか?、と推測したくなるが、長い雌伏を経て、トップリーグで戦う今季。

ともかくも、今季の賽は投げられているわけで、霜田山雅が成功を収められるよう、支援することが、我がチームの未来を拓く。

今、ここの山雅で花咲こう、とする指導者、プレイヤーを支えずして、LOVE YAMAGA と言えるのか。

花いちもんめを遊ぶ子でもあるまいし、あの子は要らん、あの子がほしいで、事が進むはずがない。

ところが、要らぬ雑音が増し、体制に軋みが生じると、成績も低迷に陥り、その結果。

霜田氏が、ついにその職から解かれると、現スポーツダイレクター 下條 佳明氏が、暫定監督に就任。

まさか。

おいおい、また、元の木阿弥、積み上げた石も瓦解なのかい?、と嘆息。

……と、ここまで来たら、目が醒めた。

今の夢、いったい、どのくらいの長さだったのか?、

ボンヤリと、ブラインドの外を見たら、空は青白み明るく、午前の 4時近かった。

では。