すこし前まで、某女性作家を藤山 直美が演じている 毎回15分の連続番組を、リヴァイバルで放送していた。
なんの折りかは忘れたが、画面を観ていた家人が、ふと
― あの人(その女性作家)は、私小説を書いていたから、とおっしゃる。
人の口をとおして、〈私小説〉なる言葉を聞くのは何十年ぶりだったので、僕はドキッとして、かつ、不思議な懐かしさ!!、に浸っていた。
ししょうせつ、わたくししょうせつ、読みは、どっちでもかまわない。
おそらく家人は、
自分の日常や身辺のことがらを、それへの感想や心情を交えて、一人称(わたし)で書いた小説、という意味で、私小説を使ったのだと思う。
それは、けっして間違ってはいない。
が、わざわざ、私小説、という単語が使われはじめたのは、100年以上むかしにさかのぼる、日本の近代文学の在り方についての、けっこう根深い事情があったわけです。
この呼び名は、こういったスタイルの小説への批判として、まづ持ち出された。
つまり、自分および自分に手近な題材を、自分の好悪や感慨をとおして描いたところで、それがなんになろう、という意見だ。
そんなのは、ひどくヤセた作文に過ぎないのではないか、と。
いくら、梶井 基次郎『檸檬』が、魅力的な作物であったにせよ、だ。
批判する者にはもともと、小説とは本来、 事実や、虚構や、さまざまの素材、手法を駆使することで、人間の〈真実〉(註:事実ではない) を描くべき、という理念が、その頭に在った。
議論が生まれる根底には、当時、文学はせいぜい、文壇、と呼ばれる狭い職業サークルと、それを取り巻く少数の(エリート候補の)学生群が、生産し、鑑賞していた、日本の社会構造があった。
その作品を手に取る読者は、作中〈私〉という職業文士の生活と意見(趣味など)を、かなり詳しく知っている、ということが前提にあった。
だから、そういう〈私〉であるから、特段の説明も断りもなしに、ひたすら自己の日常生活から派生してくることを書いていられた。
でも、考えてみれば、
洋の東西を越えて、自分自身や自分のまわりに題材を採った小説なんてのは、フツーに多くころがっているのであって、誰も、それを特別に、私小説、などとは呼んでいない。
振り返ってみると、〈私小説〉は日本独自の文学的なアジェンダであったわけです。
かつて、私小説をめぐる議論があれほど熱く盛り上がったのは、やはり、文壇内で生き残る、といった生計が係っていたから、という下部構造のゆえでありましょう。
それが証拠に。
文壇、という狭量な知的エリート?社会が消失し、
それにかわって、マスメディアが、作家と大衆の間に介入し、独占的に交通整理をやりだした 1960年代前後からは、〈私小説〉とその是非、といった議論は下火になるか、流行らなくなった。
だから、私小説論んなてのは、今日ではもはや、そこらに放っておいて良い話だけれど、
もしもですよ、どうしても、それを再起したければ、
❶文学作品の価値を、生産(書き手)と享受(読み手)の二方向からつかまえる方法論が必要である。
つまり、作者すると、どんな小説にも虚構(ウソ)が混入しないはずはなく、読者からすれば、なぜその作品を好んで手にするのか?、という問題。
❷そもそも、自分の好悪、趣味性に解消しきれないところに、文学作品の価値基準をあらかじめこさえておく。
文芸作品の優劣、クオリティの、客観的な判断基準はなんなのか?
このふたつは、文学を語ろうとする際、どうしても避けて通れないだろうから、❶❷を満たさないようないかなる議論も、傾聴に値しない。
でなけりゃ、だた、自分は小説や詩を読むのが好きだから、で済まして生きていけばいい。
さて、ヒントとして。
上の 2点を獲り込むには、まづ、作者が、どういうふうに社会に向き合うのか?を自分に対しはっきりさせることが要所であろうことは、間違いない。
では。
(400字詰原稿用紙約4枚超の、ざっくりな文章ですが、もしも、あなたが大学などの日本近代文学の授業でレポートが必要な場合、これをそれなりになぞって提出すれば、その教授がよほどの教条的マルクス主義者でない限り、『優』はあてにできる)