おそるべきは 東信(その❷)

この前の水曜日。

すこし前に家人は腰を痛め、その急性期も過ぎたので、

湯治がてら、鄙びた温泉にでもと、萬年の隠し湯へお連れすることになった。

― きっと、つげ 義春の描くようなところなんでしょう?、と牽制はされたんですが、

松本市街からは、30キロ。

三才山トンネルを過ぎて、少し行ったあたり、国道を折れると、

4軒の旅館に、ひとつの共同浴場が、こじんまり集まった山あいの温泉地へと、日帰り入浴にご案内した。

ところが、お目当ての旅館は、改装のため休業中。

仕方がないので、道路の真向かいにある旅館を尋ねると、要予約、だという。

― 冬季は、湧出温度が低いから、加温に時間が必要なもので。と女将。

ならば、どこかで時間を潰してから14時目安に再訪するので、沸かしておいてください、と頼み込んで、ようやく、お湯にありつけた次第。

さて、中に踏み入ったら、宿はまるで、時間が、昭和で止まったよう。

玄関横の本棚には、きっとここ何年も手もつけていないんだろう、カビだらけの本が並び、建物や器具の破損は、そのままになって修理されていない。

築100年の建物は、勾配をつたって歩くにも薄暗く、脱衣所の洗面台も使えやしない。

しかしですよ。

4人も入れば窮屈そうな湯舟に、男女別でそれぞれ、貸し切りで浸かってみると、これが、まぁ絶品の泉質でありまして。

誰に気兼ねするでもなく、しなびた、否、鄙びた温泉宿の風情を、サッシ窓の向こうのかすんだ曇天を眺めながら味わった午後。

翌日、腰も、だいぶ楽になったような気がする、と家人。

僕に関していえば、ひさしぶりの快眠であって、

良湯は東信に在り、を実感したのでありました。

ただし。

家人は、どうやっても、あの、つげ式な情緒を、ふたたび味わうつもりもないようです。

では。