およそ 1,300年近くは仰ぎ見られてきた天体の運行について、寄り道でもいたしましょう。
東の野にかぎろひの立つ見えて かえり見すれば月かたぶきぬ
(読み: ひむがしの のにかぎろいのたつみえて かえりみすれば つきかたぶきぬ)
万葉集巻一、歌番号48。
軽皇子(のちの天武天皇 683~707年) 一行が、安騎野に(狩猟で)宿った際、随行した柿本人麻呂が歌った短歌。
狩りは、林が(落葉によって)明るく、見通しがよい冬季にするのがならわし。
とすれば、歌われた情景、すなわち、
東の方には曙光が射し始め、振り返ると中空にあった月は西に傾きつつある
、といった景色はいつごろ現れるのか?
こういう疑問を持つ者がやはり居るらしくて、
現在では、西暦695年前後の、陰暦11月中旬というのが、おおよその定説。
今年に当てはめると、おそらくは、12月15日から2日間くらいのことだろう。
今日の朝。
強風のせいで霜は降りなかったものの、寒風が、それはそれは厳しく、屋外に5分も居たら、手足がしびれてしまった。
よくもまぁ、こんな寒い中に野宿したもんだ、と奈良朝の宮廷人の忍耐が知れた。
短歌そのものは、ダイナミックな情景描写として楽しむとして、
安騎野行の一連の歌が、万葉集の冒頭近くに置かれたのは、やはり、大和朝廷統治の権威を広めたい狙い、と思う。
政治と文学、というテーマは当時から在ったんですな。
軽皇子は、14歳という異例の若さで(天武天皇として)即位したため、祖母の持統帝が、太上天皇となって後見役に就く。
彼の治世に、大宝律令は完成、〈日本〉という国号も確定したらしい。
1,000年以上の昔の、単なる朝ひとつ。
いまでも人の心に迫ってくる、これこそ、古典の魅力でしょうか。
では。