雷鳴の余韻に考えた (@ 藤枝戦)

今日6月14日は、24年前(1998年)、日本が、ワールドカップ本大会の初戦(対アルゼンチン)を、戦った日。

そのチームで、背番号#10を身につけていたのが、名波 浩(25歳)。

そして、#7中田 英寿は、21歳だったから、当時から若い才能の登用があった。

山雅にとって、ユース生え抜きのプレイヤーが、アルウィンで2ゴールを決める、そんな歴史的な6月11日。

― スタジアム観客席は避雷針などで守られてはいますが、むやみに立ち上がらないように願います。

場内アナウンスを聞きながら、激しい雨に打たれ、じっと座り込む観客の群れ。

これもまた、サッカーの流儀なんだと言い聞かせるものの、かたわらを雨がっぱの幼児らが帰っていく姿は、なかなか切ない光景、ではありました。

あの雷鳴の中、考えたことがひとつ。

最近、ホームゲームでは、コイントスに勝つと、必ずピッチを入れ替える山雅。

これ、ゲーム開始早々から、ひたすらホームゴール裏めがけて突入する、というゲーム戦略、プレイヤーへのメッセージなのか?

相手を、背後から圧倒的なアウェイ感に陥れつつ、冒頭10分間は、先制的に強圧な攻撃をかけまくる。

まづはそう突っかけておいて、今度は、相手の反攻に引くなりしてみせて、ゲームの流れをコントロールしたい。

そんなところなんだろうか。

ま、これをやれば、少なくとも、スローテンポで脆弱なゲームの入りは回避できる。

クルマのエンジンも低回転を繰り返していれば、やがてはスムーズに吹き上がらくなりますしね。

勢い込めて入って、それなりの前半を。
で、後半は、もろもろの修正を施しながら、強度を増してクライマックスへ。

……、真の狙いはわかりませぬが、北ゴール裏の住人としては、後半、山雅の侵攻がこちらに向かってくるのは、まことにありがたいこと。

ふたつめの考え。

こうやってアナウンスの繰り返しにつき合っているのも退屈、こんな時は、ブルース スプリングスティーンの『Thunder Road』(1975年発表) でも流してしまうぐらいの遊び心があったって、いいのになぁ。

地上波観戦の方からは、待機中はハイライトの繰り返しばっかり。飽いてしまって、TVを消したよ、という話を聞く。

で、ここは、ひとつその、雷鳴の道、を聴いてしまえ。

……カーラジオから流れてくるロイオービソンは孤独な連中のために歌っている。
僕はその中のひとり、そうさ、ヒーローでもない。
けれど、
この、どうしようもない敗残者たちの街(故郷)から、メアリーを連れて明日を見つけるために出て行くんだ……、という青年の心情をつづった歌詞。

ハイスクール卒業したての恋人、というセリフが織り込まれているから、季節的にも今聴くのが旬なわけ。

では。