どう死ぬか があるから こう生きられる。

結局のところ、人々の、具体的にどんな行動の結果によって COVID-19(新型インフルエンザ) パンデミックがこうなる、という納得のいく答えは、誰も教えてくれないまま、2年あまりの時は経った。

とにかく、ワクチン打て、マスクして入店せよ、黙って食べれ、の繰り返し。

そう言われ続けて生活するこの国民の〈従順〉は、ひどく思考停止した生き方に違いない。

シナでは強烈なロックダウンを敢行していると、皮肉めいた論調でメディアは騒ぐ。

けれど、上海では強権的に、海のこっちでは周囲の白眼視が嫌で、それぞれやっているに過ぎず、たいして違いのない渡世ではないか。

宗教を否定する社会(民族)では、現世の後にはなんにも無いから、死ぬのがいちばん怖いこと。

だから、一目散に、右向け右で、手法は違うが全体主義な手当てに走るんでしょうな。

英国(グレートブリテン)では、人口6,800万人の 約3分の1(2,200万人)が、既に感染してしまったから、しめた!とばかり、サッカー観戦なんかマスクなしの、したい放題になっている。

しめた、というのは順序が逆で、そういう日常に戻りたいがために、感染を厭わなかった、ということ。

こういうのは、根本には、たとえ死んでも次の世があるさ、という覚悟があるからできることであって。

今のところ、愛知県の人口くらいの感染者(累計800万人)なこの国。

この先も、第何波を、左顧右眄してチマチマと乗り越えていくのが関の山。

そこには、こういうふうにしてしまえ、といったヴィジョンに基づく行動は起きそうにもない。

〈この街とスタジアムにマスクはいらない〉と率先すれば、画期的なんだが……。

夢想に浸りながら、では。