〈見映え〉に関する ふたつの考察 (北Q戦レビュウ❷)

ひとつ。
ベンチ(一昨日はアウェイの監督) に向かってカード(イエロー) が呈示されるのを、記憶では、はじめて観ました。

73分、山雅の自陣右サイド。

住田 将が、ギラヴァンツ前川 大河に対して犯したファール(ホールディング)に、北Q監督氏が、スタジアムに響くほどの絶叫で〈カード!〉と、繰り返す。

これが、主審への暴言、と認定された?

もしかしたら、ろくにマスクもせずに、しかも、声援ご法度に違反した、との判断だったのかも知れません。

あの監督氏、怒声によって、チームを叱咤激励する演出を狙ったとか?

たしかに、当日のジャッジ、カード有無について、変に気前良かったり、あるいは、それでカードが出ないの!?、と、判断基準にバラツキはあったと思う。

おそらくは決定機を阻止した、という情況を重く勘案していたんでしょうが、接触の悪質性とのバランスも、大切かと。

危険をあらかじめ阻止することは必要だけれど、出来ることならばカードは少ないほうがいいわけですから。

もちろん、痛がっているという〈見映え〉に左右されてもいけない。
とにかくカードは、サッカーの高揚を減じます。

カードは切り札、と思料するレフェリーとは絶縁したい。(無理ですがね)

ふたつ。
9,800人超のご来場。
ほぅ、久しぶりに大台に近いね、とはなるけれど、山雅にあっては、いつでも起こり得ることで、ファン&サポーターならば、別に驚天動地の騒ぎでもないが、

まぁ、外部に対しては、やはり〈見映え〉の訴える部分がずいぶんと大きいんでしょうね。


帰途に就いたら、スタジアム出てすぐの所、一団の青年たちが、横断幕を掲げてている。

写真を撮らさせて、と頼んだら、どうぞ拡散して下さい、との快諾を得た。

その中身は、ひとりひと旗、との訴え。

声援制限下でもって、戦うチームをどうやって鼓舞するかについて、彼らなりの提案なのだ。

視覚に訴える方法に活路を見い出すことは、各自が多少ともできることであるから、僕も大賛成。(ちなみに萬年は ゲーフラ派)

南ゴール裏では、そういう意思の高まりもあってか、ゲートフラグが急増していて、クラブも、プレイヤー個別の応援グッズを売り出し中の様子。

こうなったら、ゲーフラ、および、大中小のフラグが、いやになるくらいスタンドを埋め尽くすようになったかを、毎度測定してみよう。

そして、その光景を眺めながら悦に浸る、とか。

では。