狭き門より入れ (ワールドカップの堕落)

一昨日、娘から、日本代表が、ヴェトナムとやってドローがやっとだった、と聞いた。

ホーム(日本国内)でやる、ってことはどこかで読んだが、ゲーム結果を追いかけることもしていなかった。

大会出場は決まっているし、ヴェトナム戦は、いわば消化試合なんだから、よけいに関心もない。

観戦は暇つぶしにもなるまいし、それならば、睡眠を採ったほうがいいや。

山雅に執心しているので、ナショナルチームはどうでもいいのか?、それとも、32か国の出場枠である現在、ジャパンの本戦出場はアタリ前に思ってしまっているからなのか?

おそらくは、その両方が無関心になる理由だ。

FIFAランキングでは、たしか、30位以内の日本なんだから、よほどの下手を打たない限り出場可だろうから、大会になってはじめて、国民的な関心が生じるのがむしろ健全、と思っている。

さらに、2026年大会からは、出場枠が、48か国に拡大して、アジアからは、8つの国が出場できるようになる。

個人的には、これほど大会への関門が広く、緩くなれば、ますます興味は失せるし、大会のクオリティも、どうしたって低下するに違いない。

今日、サッカーそのもののクオリティが保たれているのは、各国リーグがそれなりに盛況であるからであって、ワールドカップはその上に浮かぶ、ひとつのお祭り。

マタイ伝(新約聖書)第7章のコトバではないけれど、困難な道を踏破しないと、天国へは行けない。

広くて楽な道の先には、たいてい滅び(地獄)がある、というのが道理ではあるまいか?

だから、日本サッカー協会は、大義名分を編み出してでも、アジアサッカー連盟から丁重に脱退する。

そして、財力を正しくかつ賢く使うことによって、南米サッカー連盟に加入させてもらって、その中で切磋琢磨する、というのが萬年式の青写真。

そうすれば、Jリーグには、南米出身プレイヤーの関心がもっと注がれるようになって、より高度なゲームを提供できますよ。

ただし、関心が薄れている、とは言うものの、週日のナイトゲームであっても、ヴェトナム戦の入場者が、44,600人であったことには、かなり驚かされました。

では。