どこが,狂気なものか。

理解できない暴挙であることを強調したいために、〈狂気〉による行動、と言うんだろうが、メディアの煽り文句は論外として、狂気、で片付けてしまうのは、まづい。

あえて言えば、ご本人からすると〈侠気〉だった、と思う。

侵食されて弱まる祖国ロシア、それを建て直すための一手を発動する、という。

原油高騰の追い風による国家財政の好調、米欧とシナのいさかい、国内統治の磐石などなど、ここぞ、というタイミングで仕掛けた、ウクライナ侵攻だったはず。

20世紀末に首相に就任するや、役職に異動があったものの、実質的な国政トップに居続ける力量を持つ頭脳が、冷徹な判断によってゴーを出したのだ。

ただし、今の状況は、相手やその支援者の出方について読み切れなかった、ということにはなっている。

その狙いはともかく、侵攻して4日目にはすばやく停戦協議に応じているんだから、正気でなければできないことだ。

最終兵器の使用にまで言い及んでいるのも、計算づくに違いない。

いまから80年前、欧米相手に単騎決戦を開いた、どこぞの小国にしたって、エネルギーを絶たれようとして相当に焦っていたとは言え、なんとか活路を見い出そうと、〈正気〉でパールハーバーまで出かけていったのだ。

ただし、日本の決定的なミスは、出口、つまり、終戦にもっていく戦略がほとんど無かったことだろう。

それがために、いたづらに人的な損失を招いてしまう。

東条 英機を首班から引きずり下ろす工作はあったんだが、いかんせん、昭和天皇が、終戦の可能性を探れ、とはじめて下命したのが、1945年6月22日だった。

追いつめられ追い詰められ、結局は、敗戦の4箇月前たった2箇月前のこと。

天皇はこの日、最高戦争指導会議において、首相、外相、陸海両相、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長の 6名を前にして、

― これは命令ではなく、あくまで懇談であるが……、という言い方で、
戦争終結について具体的な研究を遂げ、実現に努力せよ、と発言された。

と、当時、鈴木貫太郎内閣の書記官長であった、迫水 久常(さこみず ひさつね 1902~1977)が、その回想録で語っている。

なにかを始める時は、どのようにして終わるのかまでをプランニングすべきなのは、これはもう、仕事師にとっては、当たり前の話でありましょう。

それにしても、今度の件で、僕がいちばん気になるのは、外相や大使などのいわばスポークスマンは別にして、たとえば、メドベーチェフメドベージェフといった、首脳級リーダーたちの動静についての情報が全く入ってこないこと。

こういうのが、一流の警察国家、ということなのか。

では。