薩摩隼人の ココロ配り。

松本山雅の社長が、10年来キャンプ地としてお世話になっているとして、鹿児島市長を表敬訪問した、というニュースを読んだ。

一緒に写り込んでいらっしゃる市長氏、なんと、山雅のネクタイを締めているではありませんか。

職務柄、お通夜用のブラックタイ、それに、このダークグリンのふたつが、いつも執務室のロッカーに置かれてあるんだろうか?

そう思わせるくらいの、気配りとセンスを感じますね。

地元には鹿児島ユナイテッドを擁すにもかかわらず、これだけのご厚意を表明される姿勢、これには頭が下がります。

鹿児島(出身)の男性には、薩摩隼人(サツマハヤト)、という美称があるんですが、もともとは、南九州に住んでいた人々を、大和政権側から呼んだコトバであったらしい。

気風、行動が(獣のように)素早い者と、名に怖れを込めたんでしょうかねぇ。

ただし、この呼称が使用されたのは、8世紀を中心とした120年くらいの間のようです。

最終的には大和朝廷に服属するけれど、時として、反抗した記録が残る。

720(養老4)年には、大規模な、隼斗の反乱が起きていて、これを鎮圧するために、朝廷から派遣された〈征隼人将軍〉が、大伴 旅人(おおとも の たびと 665~731年)。

反乱鎮圧の功もあったのだろう、旅人は、最終的に、大納言従二位の官位まで上り詰めた

役人としては最高位に就き、天皇には、いつでも接見できる殿上人だ。

その息子が、歌人として名高い、大伴 家持(おおとも の やかもち 718~785年)。

隼人と旅人、かぁ。

1,200年の時が過ぎても、〈ハヤト〉のほうは、コトバとしていまだ現役。

使われる漢字は多様だけれども、男性の名として、一般的。

対し、旅人(タビト)のほうは忘れ去られている。

これも、なにかの因縁でしょうか。

では。