つまりは、あまり良い時間を過せなかった、とか、くたびれただけだった、をサラッと言いたいんだろうな。
と、若人の会話を聞くたび、そう思うようにしている。
決して、くどくど説明したくないクセや、その語彙の貧弱をあげつらってはいけない。
しかし、自分ではほとんど意識していないのに、
― 疲れてるみたいね?、と問われると、ハッとしますな。
あぁ、表情や動作に滲み出るものがあったんだろうなぁ、と立ち止まってしまう。
電車の中、立っているのが大義だったり、大変そうにお見受けしたら、自分が座っている席を、サラリと、ごく自然に譲って差し上げたらいい。
好意を受けるか断るかは、その御方にお任せすればよいから、迷うこともいらない。
まぁ、挨拶みたいなもの。
相手がそれを返そうと、返すまいと、こっちの知ったことでなし。
朝の自分を、気持ちよく始めるための儀礼と思えば、向こうの反応はどうでもいい。
あぁ、家で女房とでも喧嘩して出て来たか、または、挨拶することを自分に躾けられずに大人になっちゃったか、ぐらいに思え。
あるブログで、傑作なのがあった。
電車で席を譲る運動、というのをやってる高校があって、そこで回数ナンバーワンを獲った高校生の言い分が、
まずは、自分が席に座ることがポイント、なんだそうだ。
たしかに、一面、おっしゃる通り。
この無邪気な証言、良識を育てようとする善意が、ややもすると陳腐な発想へと向かうことの一例ではありますな。
我先にと空いた席に殺到すると、あとは寝たふりを決め込む無関心。
これは、日本人が、相当に疲れていることから来るのか、どうか?
フィルコリンズによる『Another Day In Paradise』(パラダイスに居られたのに、1989年発表)。
たまには、こんな曲を聴きたくなる時がある。
もう一度考えてみろ(Think Twice!)、と、自分に言い聞かせたい時に。
では。