土曜日の朝6時前、某公共放送は、亡き人(往年の有名人)を偲ぶ番組を流している。
萬年、そろそろご出勤となる時間。
食事などしながら、時計代わりに画面を見つめていることが多い。
先週は、たまたま、小林 亜星(作曲家、1932~2021年5月30日) の番であった。
けっして達者でなく、むしろ下手と思うけれど、テレビドラマにも役者(主演級)として出ていたっけ。
そのドラマ、当時の僕は、娘役の梶 芽衣子 観たさにチャンネルを合わせていた、遠い記憶が蘇える。
番組では、対談などにおける亜星氏の発言が、時々、挟み込まれる。
その中の、この言葉。
― 曲 というのはね、作ろう作ろうとしてはダメなんだ。ふと湧いてくるのが良いんです。
おぉ!、これ、僕にとっては、まさに天啓でありました。
ためしに〈曲〉のところを、たとえば、〈笑顔〉に置き換えてご覧なさい。
― 笑顔というのはね、作ろうとしてもダメ。自然に湧いてきてこそ価値がある。(by 萬年)
家人には、数十年来、何かにつけて、あなたのはね、とってつけた云々、と言われ続けてきた僕。
要は、誠実さに欠ける、ってわけ。
ゆえに、笑顔に限らず、残された人生を活かすためにも、おおいに有り難いお言葉なんでありました。
ところで、北へ向かう、帰る、の言葉には、なぜ、こうも悲しい響きを感じるんだろうか……。
亜星氏の名作『北の宿から』から連想されたことですけどね。
では。