クーデターによって自宅(敷地内)に押し込まれた国政のトップが、そのクーデターを支持しないようにFaceBookで発信した、とか。
へえ、そんな自由が認められているの?
これひとつとっても、今回の政変のありようを、よほど注意深く読み解かないといけない。
軍政 = 武力行使による鎮圧 = 独裁的な暴政、と簡単に成り立つのか?
それは僕らの頭の中だけのことで、どうも、そんな単純なお話ではないようだ。
他方、民主化の名の下に実行された政治が、人々にとって実際どうだったのか。
その中身を、もっと紐解いてからでないと、軽々にジャッジできない。
たとえば、ベンガル人とも呼ばれる、イスラム少数派の人々のこと。
ミャンマー社会は、誰が政権の座に在っても、今のところは、その人々に自国籍を認めないだろう。
過去のある時までは、共存していたイスラム教徒と仏教徒であった。
が、特に、英国や日本の植民地になる過程で代理戦争に投げ込まれなどしたあげく、バングラデシュとミャンマーの国境を行ったり来たりさせられている悲しい歴史。
国連が、ミャンマー政府によるイスラム教徒処遇に関し非難声明を加盟国による投票で採択した際、我が政府は、棄権に回っている(他方で、事態に憂慮も表明している)。
だいたいが、歴史上、外国が乗り込んでいって、救われた国があったんだろうか。
ほとんどが、自立からは遠のき、悲惨な混乱に陥っている。
思い浮かぶ唯一の例外は、世界の人々の反戦を求める論調には一切耳を貸さずに戦争をやり遂げたあげくに、米国とその傀儡政権を、国外へと敗走せしめたベトナムくらいでありましょう。
すでに汚れた手をして、自分たちに都合のいい理想や主義をかざし、民族自決の権利を取り上げるってのは、なんと傲慢なことか。
では。