白秋……。
味わいある日本語のひとつ。
転じて、人生の季節としての秋、つまり、中年期以降を指して用いられる、と辞書にはある。
ただし、萬年の周囲で、そういう使われ方を耳にしたことは、いままでほとんど無い。
思うに、きょうびの中年以上の者には、人間的な落ち着きや深みなど、なかなか備わらないからではないか?
月日に晒されて、秋の日差しのごとく透明に老いてゆく、なんてことは……。
例えば、肺がんを患う90歳の男性、担当のドクターが、もはや抗がん治療は施しません、いつ寿命が尽きるやも知れないとの所見、と家族から聞かされ、オロオロと泣き崩れているらしい。
いくつになっても、死とは、ご勘弁願いたいものなんだろうけれど、
こういう話を聞くにつけ、肉体以外の、心の熟成や老成やらはもはや、この民族から消失するんでしょうかね。
……、というわけで、思いは、自然へと向かってしまう。
開花したとたんに冷え込んだためか、金木犀の香りが10日以上とどまっていたり。
無花果(いちじく)の実を、初夏ばかりでなく、十月になって再び摘んでみたり。
ボールに4、5杯は獲れそうな勢い。
学ぶこころさえあれば、自然はいつでも教えてくれることがわかってきた、秋。
同僚が知っている小学五年生(女性)は、文学が好き、という。
どんな作家を好むのかを聞いてもらったところ、
太宰 治、中原 中也、谷崎 潤一郎 という返答。
太宰、中原はわかるが、谷崎とは面白い。
―なかはら ちゅうや、と読むんだ。戦前の詩人だよ。
とか話をしながら、こういう個性がどんどん現れて、いまの大人の感性なんぞ陳腐化して葬り去ってもらいたい、と思った。
で、いただいた雑キノコを眺め、ジョージ ウィンストンを聴きながら、季節の深まりを楽しむばかりなり。
では。
〈コメント〉
☞つーさん より (10/13 12:04)
それぞれの秋を楽しもう。
より空気が透明感を増し、間もなく山の木々が錦に彩られるこの時
この美しい季節をあと何度味わうことができるのだろうか。まさに
しかし、深刻に考えるのは止めよう。これからの人生、まだまだ長
人生は自分次第で如何様にも色付けできるはずだ。とりあえず焦ら
今年の秋はいつもの秋より長くなるような、そんな気がする…。
では、また。