正義の側には 決して立つまい。

とあるツイートを読んだ。

―シーシェパードと、真っ向から言い合いになって、
「カンガルーとワニを喰ってる人達に言われたくない」って言ったら、「人の文化に口出しするな」と言い返してきた。唖然ですよ。
……、とあった。

21世紀になって、日本の調査捕鯨に海賊行為の矛先を向けてくるようになった集団らしい物言いなのかどうか。

論争の内容はともかく、
正義の旗を掲げる者こそ、残酷で、非道に陥りやすい。
ゆえに、そういう者には軽々に近づいてはいけない。

たとえば、〈イジメ〉を仕掛ける側のほとんどは、自分は、公平や公正の実現を行なっている、と思ってるんではあるまいか。

だから、正義は自分の側にある、自分こそ正義、といった想念を自分の裡に見出したら、おいおい危険な領域に足を踏み込んでいるぞ、と立ち止まることにしている。

では。

〈コメント〉
☞つーさん より  (10/8 14:21)
勧善懲悪は現実的でない。
兎に角、子供の頃から正義を振りかざす漫画、テレビドラマが多かった。正義が悪を徹底的にやっつける。それが当然だと刷り込まれてきた。
ところが、身近には完全な悪、完全な正義など存在しないように思う。ふらふらとそのどちらかに近づいたり、離れたりして生きていく。
正義を完遂するため始めた先の大戦も、敵から見れば我々は悪の権化。
ほどほどの正義を振りかざし、ほどほどの悪に身を染める。出来るだけ極端に走らず中庸の精神で生きていく。
優柔不断と思われようが、そんな生き方が肝要であると私は思っている。
では、また。

☞萬年 より  (10/8 17:39)
竹をスパッと割ったような正義と悪が存在しないからこその〈勧善懲悪〉なんでしょうね、きっと。
必殺仕事人にしたって、お金欲しさに悪行の者を殺害するわけですから。
家では、腑抜けの婿殿を演じながら……。