ルノワール氏が、スマフォの画像をひとつ見せてくれる。
この場所、わかります?、っといった表情だったので、
―もちろん。牛伏川のフランス式階段工ではありませんか。僕の庭みたいなもんです。
ルノワール氏ら御一行様は、陸上競技場あたりからスタートして、流路までを往復するトレーニングランをしているらしい。
狭い谷間を一気に流れ下る牛伏川の氾濫を抑えようということで、築営された階段状の水路(全長141m、19段)。
両岸の石積みが洒落ていて、ここ20年かけて、遊歩道やキャンプ場が整備された。
水路の底は石張で、普段の水流は、大人のくるぶし程度の深さ。
小さな子を心配なく遊ばせられるから、家族で憩える場所。
比較的に閑散としているから、萬年も以前から訪れていた。
この夏(おそらくは週末)、息子は家族と出かけたらしく、
―いやぁ、すぐ近くの駐車場に3、40台が停まっている混み様、とてもとてもと、嘆く。
幼い頃の、ゆったりとした階段工周辺の趣きはいづこへ、ということらしい。
お気に入りの地が有名になることの、代償ですな。
ところで、この場所については、面白いお話が残っておりまして。
古来、すぐ近くの牛伏寺で、内田地籍の人々が盆踊りを楽しむのが年中行事であった、という。
階段工は完成に、 1885(明治18)~1918(大正7)までの 30年間の工期をかけている。
この間、技師や労働者が現場に寝泊まりして、砂防工事を続けたわけだ。
で、これらの工事関係者が自然と、地元住民とともに盆踊りに参加するようになった。
或る年のこと、地元の者が、ササラ踊りの歌詞を即興でもじって、こう唄った。
―人夫殺すにゃ 刃物は要らぬ、雨の三日も降ればよい。
さて、これを聞いた労働者たちが激怒して会場は揉め、盆踊りは即中止。
以来、牛伏寺の境内では盆踊りが挙行されなくなってしまい、今日まで一世紀。
調子に乗って相手の気持ちを害するようなことを口走った日には、トンデモナイ結果となる、という見事な逸話でありますが、これチャンと記録に残っているんです(内田史誌)。
いまや識る人は、地区の古老でさえいないでしょう。
しかし、読者諸氏はこれから、階段工と聞けば、このエピソードを必ず思い浮かべるでありましょう、きっと。
では。
〈コメント〉
☞つー さん より (9/29 16:17)
刃物と言葉は使いようで切れる。
安曇野に移り住んだ20年前位、紫陽花を見に行った折りに、その
今は大分、施設として整えられているようですね。久しぶりに訪れ
口は災いの元、私もそれが原因で他人を傷つけた事があるに違いあ
言葉は、急斜面を一気に流れる水の様に話すのではなく、階段で抑
では、また。
☞萬年より (9/29 16:31)
立て板に水を流すように、よどみなくまくし立てる、って言い方があって、これぞ反論の余地を与えないような江戸好みだったんでしょうか?
啖呵、ってやつ。
ですが、やはり穏やかに暮らしたいものですね。
☞ルノワール氏より (9/29 20:37)
フランス式階段工と牛伏寺
牛伏川に治水対策のダムを造るとき
沢山の人々の苦労が有ったのですね
牛伏寺で盆踊り?
あの急坂のてっぺんの寺で盆踊り
盆踊りのために急坂を自分の脚で登ったのでしょうか?
昔は自動車なんぞ無かったので普通な のかな?
私は毎週末
マラソンクラブのメンバーと松本空港から牛伏寺の往復ランニング
情景が
浮かびます
昔の人々の生活
勉強になりました。
有難う御座いました 。