映画『人生案内』は、革命が成って日のまだじ浅いソビエト連邦で製作された。
1931年の発表だ。
萬年、これをたしか神保町の岩波ホールで観た。
物語の細部はほとんど忘れたが、悪事に日々を費やす少年ホーボー(浮浪者)の一団(チンピラですな)を、集団工場(コルホーズ?)へ連れていって、更正させる、という筋書き。
共産主義下では浮浪者など在ってはならぬ、というプロパガンダ映画なんだが、主人公らの演技が素晴らしく、少年期の普遍的な悩みや葛藤がみずみずしく描かれていて、教条的なお説教からは大きくはみ出した魅力を持っていた。
特に主人公が、アジア系の少年、という設定が、より親しみを感じさせた。
さて、1931年といえば、日本が満州事変を始めた年。
けれど、共産主義国製の映画はチャンと輸入されていて、翌年のキネマ旬報賞を獲っている。
敵対的な体制の、国家お墨付きの作品が、当時国内で鑑賞されていたという事実。
こういうところが、既に僕たちの感覚では、ぜんぜん捉えられない。
へぇ~、そうだったんですか~!、くらいの感想が浮かぶだけ。
当時は軍国主義にまっしぐら(の暗い社会)、といった史観で徹底的に教育された戦後世代の盲目と悲哀、と言えるだろう。
隣国の反日教育を笑う暇が有るのなら、むしろ、自分のやった教育に心を向けないといけません、日本人は。
さて、題名は、英語にすると Road to LIfe。
それを、人生案内、としたのは、実に名訳だと思う。
言語感覚が、90年前のほうが優っていた証拠ですな。
はて、某読売新聞の人生相談欄のタイトルは、ここから採られたんだろうか?
ロシアの歌『黒い瞳の』からの連想で、こんな曲を聴きながらの秋……。
では。
〈コメント〉
☞つー さん より (9/17 16:42)
触れたい芸術は多い、されど人生案外短い。
ロシア映画と言えば、戦艦ポチョムキン、惑星ソラリス、僕の村は
暗く難解であると言うイメージが、観ることを遠ざけていたのかも
戦争の暗雲が垂れ込めつつあった時代、けれど大衆からは戦争はま
ロシアの映画で、キネマ旬報賞驚きです。芸術、文化、娯楽に対し
ところで、昔あれほど聞いたアリスの曲も遠くで汽笛を聞くように
では、また。
☞萬年より (9/17 19:18)
1930年代は、日本にとっては空前の経済的繁栄だった、と思います。
東京オリンピックの開催(結局は中止)にも手が届く時代だったので、映画輸入も盛んだったんでしょう、きっと。
革命後の国家創成期では、大衆情宣のためには映画(フィルム)がいちばん効果的な手段だったんでしょうね。
冷戦時代のハリウッドによる赤軍の描写には、画一的なものがあってうんざりもしますけれど、『レッドオクトーバーを追え』(1990年)は、主役をソ連潜水艦の艦長にすえたところ、従来の視点とはちょっと違っていて面白かったです。
まぁ、この艦長、西側への亡命を企図しているという条件つきでしたが……。
前年1989年にはベルリンの壁が崩れていて、時代が動き出した、そんな時でしたね。
では。