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萬年式日乗
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まんねんしきにちじょう

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カテゴリー: 街へ

投稿日: 2020年6月18日2020年6月18日

希望? or 重荷? 【エゼキエル書】

エゼキエル(Ezechiel)は、紀元前6世紀に活動した、古代イスラエル王国の預言者。

彼自身が、バビロンに捕囚された者のひとり。
異国の地で、ヘブライ人を宗教的/精神的に指導した、とされる。

ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画に描き込んだエゼキエル(1508~1512年に制作)は、キッと、横顔をみせて身構えていて、緊張がみなぎる。

さて、彼の手になる、エゼキエル書の第18章20節。

曰く……、子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰す……と。

これ、当たり前のこと過ぎて、ピンと来ないか。

それほどに僕たち日本人は、ヘブライ社会が編み出した法観念の中に浸っている。

ただ、僕らが、血縁から解かれた個人主義社会に生きている、という意識をどれくらい深く持っているかは、けっこう怪しい。

自分次第で、自己の生き方と将来を選びとることができる。
―これを、希望と思うのか、重荷に感ずるのか。

せいぜい30歳を通過したら、今の自分は父母や祖先の仕業でこうなっちゃった、と言い訳は通用しないでしょうね。

では。

〈コメント〉
☞つーさんより (6/18 16:09)
親孝行したい時には父は無し

親が子の将来に期待するのは当たり前だし、子もそれに応えたいと思う。しかし、そう上手く人生は運ばない。必ずと言っていいほど、それを負担に感じるようになる。自分の事で恐縮だが子供の頃私も、特に父親からかなりの期待を寄せられ負担に感じた時期があった。そんな父は、私への失望を抱きながら亡くなった。そんな事が書いてある当時の父親の日記を読んでかなりショックを受けたものだ。
また、私自身、結構紆余曲折の人生を歩んだため母親にもかなり心配をかけた。今は母親も気に入っている奥さんを連れて月1回訪ねることが、せめてもの親孝行と思っている。
自身の性格を顧みて、親のせいだと批判的に思った時もあるが、自分で築いてきた性格、人生は全て自分の責任。
寧ろ親は子の成長を支えてくれた唯一無二の存在であると、今は思う。
では、また。
いつも、そしてこれからも、的を得ていないコメントで、お許しを🙏

 

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